『十字架で生を完了した死』 ヨハネ19:23-30
『十字架で生を完了した死』
Ⅰ.十字架の上から語られた愛
「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」「ご覧なさい。あなたの母です」(26,27)。主は十字架につけられ、ご自分のいのちが危ぶまれた時でさえ、家族に対する義務を忘れてはおられなかった。困難で苦悩に満ちた死を神への信仰と隣人への愛を貫いて完了された。
Ⅱ.十字架の上で貫かれた勇気
聖書が成就するために「わたしは渇く」と言われた(28)。主は十字架刑に伴うひどい渇きに耐え、人間の受けるすべての苦痛をご自分のものとされた。聖書の成就のために「力ある勇士」(詩篇103:20)として最後まで勇敢に立ち向かわれた。
Ⅲ.十字架の上で得られた勝利
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた(30)。主の十字架による神の救いの計画が完了したの意味。勝利したの意味でもある。罪なきお方が罪ある者の罪のすべてを代わりに負って勝利された。私たちがだれ一人神に見捨てられないために、自ら見捨てられて勝利された。善をもって悪に打ち勝たれた。
私たちも主にならい、生を完了する死に召されている。召天者たちの凱旋はその希望。肉体はがんで激痛が走っても心は救いの喜びに踊ったMさん。喉を切開され声が出なくてもローマ8:37「圧倒的な勝利者ですね!」に満面に笑みを浮かべ首を縦に振ったMさん。「神、もし我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや」と3回繰り返して旅立ったUさん。ヨハネ11:25「わたしはよみがえり。いのち。わたしを信じる者は、死んでも生きる」に死の恐れから解放され歩んだTさん。私たちの地上の最後も主にある愛と勇気と勝利に導かれますように。
November 19th, 2017 (Sunday)